小野小町の美人の湯。それが小野川温泉

  立ち別れ都の空を後に見て
   何処を宿と定むものかな

と歌を書き残し、姿を消した父君を捜そうと黒髪を切り落とし、十二単衣を墨染めの法の衣に替え旅に出たのは小町が十八歳の春のことです。
 都育ちの小町にとってはなれぬ旅路は辛いものであったことでしょう。東海の天にかかった頃には病の身となり、三州峰の薬師に参籠し大願成就を祈りました。七日目に如来のお告げがあり、
「出羽の国吾妻川のほとりに出湯がある。これに浴せば御身の病癒ゆるのみか、御身が尋ぬる父君に遇ふることが出来る。」
 出羽に向かった小町だが、奥羽山脈の峻険たる山道は難所が多く吾妻川の水上である関谷もに来たときは両足の自由がきかなくなってしまった。
 路頭の石に腰掛けて休んでいると、山家に住むひとりの白髭の老翁が来て、鍬をつえつき小町に向かい「御身は都人と見え候が何処にお越しある処ぞや」と問うた。
 小町はなよやかに形を正し、その問いに答えると老翁は傍らの一清流を指さして、「お尋ねの川は是なり、薬師如来お告げの出湯は、是より四五十町水下なれば路険悪にして草深く、牛馬も通わぬ程であれば、婦女子の身にては行くこと叶はじ。拙者ご案内仕らん。」と小町を背負って柴原草原の分け目なく飛鳥の如く駆け行きて、出湯の場所に着き「先刻来の話は此出湯にて候」と言い終わるや、老翁は一団の白煙と化して何処ともなく消えてしまった。
 ああ有りがたやと湧出づる岩間の湯壺に浴すれば、里人これを耳にして集まり、形ばかりの湯壺を作り湯あみの場所としたのである。
 小町は此の湯に三週間湯治し、病が全く癒えたころ薬師如来のお告げの通り、偶然にも吾妻川で釣りをしていた父郡司と再会することができた。病後のため面変りした小町を父は容易に我が子と信ずることが出来ず「我が子は遠く都にあり、女の身として千里の路を来られる道理無し、狐狸か変化にあらぬか」と疑った。
 小町はさらば証拠にと襟引き裂いて、出発の時の書き置きと一首の和歌を出し父の疑念を解いたとのこと。
 小町は承和四年、峰の薬師堂を建て如来を祀った。そのとき詠んだ和歌が、
  立ち止まり四方の景色を見渡せば
   峯のいさこに波の花かな

 これは、小野川温泉の塩の味を表している。現在の尼湯が小町発見の湯である。